コミュニケーションより大事なことって

    今、子どもたちを送り出して、コーヒーを飲んで一息ついております。佐々木です。

    連載が続いているので、今日はちょっと休憩がてら別テーマ。


    今日はコミュニケーションの話。

    教育業界では「コミュニケーション力を育成しよう!」というのがよく聞かれます。僕もそういった力は必要だなと思います。人間は一人では生きていけないし、必ずどこか「居場所」のようなものが必要で、居場所で他人と仲良く過ごすためには一定のコミュニケーションスキルのようなものが問われるからです。

    子どもたちもぜひ、コミュニケーション力を養ってほしいと思います。

    多分この場合、コミュニケーション力というのはほかの人の立場に立った、心配りができるだとか、配慮ができるとか、ですね。

    ただ、もうちょっというと、「自己中心的に動かないこと」が求められているんじゃないかとか。

     

    すこし、僕個人の話をします。

    僕は人とのコミュニケーションは苦手ではありません。特別得意とも思っていないけど、人と話すのは好きですし、感情移入もしやすいタイプです。

    ただ、自分は結構自己中心的な人間だなと思いますし、思い通りにいかないとイライラします。(でもまぁ、みんなそうでしょ?)

    会社勤めの時は、いわゆる根回しや飲みにケーションのようなものが大嫌いで、「ああでもない、こうでもない」という会議に何時間も出席しているだけで、頭が痛くなってくるような性格です。なので、最初はうまくコミュニケーションをとりながら円滑に進めようと思うのですが、本質とずれたところで周囲が「検討」を繰り返し、結局答えが出ない状態が続くと、「もういいや!」ってなっちゃって個人プレイに走ってしまう。

    これは良くないですが、もう性格なんですね。

    だから、もうなるべく個人で仕事をしていこう、というライフスタイルになりました。(仲良くしたい人たちだけと、必要な関係を築く!それで十分!と思っています)

    大人なので、集団でのコミュニケーション力は多少なりあるとは思いつつも、どうしてもアイディアや創造性が先行して「動いたほうが楽」と判断してしまう。そして、たまに怒られるわけです。

     

    僕はこれ、子どもたちも一緒なんじゃないかと思ったりします。

    子どもたちを見ていると、思ったこと感じたことに実直で脊髄反射で動いているんじゃないかと思ってしまうなんてことありませんか?

    脊髄反射っていうのは本能以前に、何か刺激を受けたら体が勝手に動くやつですね。

    落ち着いて話を聞くことはできるし、言ったとおりにすることはできる。つまり、コミュニケーションはとれるのだけど、本質は周りは二の次で「疑問」とか「興味」とかに反応する仕組みになっています。

    子どもたちはおもしろい、とか、なんだろう?と思ったことにすぐ反応します。ほかにやらなければいけないことがあっても、その情報はどっかに行ってしまいます。常に、楽しいが勝つ。

    こういうのは行動主義(やってみて考える)といいます。僕もそうだし、多分子どもたちもそうなんだろうと。

    何も考えずにやってみちゃうから、他からは「コミュニケーション力を養え」とか言われてしまうのですが、そんなことしていたら創造性やアイディアはどっかに行ってしまうんじゃないかと。僕らはそれを逃したくないんですね。きっと。

    SNSやLINE、メールでのやり取りが飛びかい、コミュニケーションの嵐のなかに常にいるような現代社会。子どもたちは情報の取捨選択を求められています。

    でも、そんなことばかりしていたら疲れちゃうよ。誰が何を言っている、とか、誰が~~らしい、とか。さして重要じゃないです。

    どんな情報が大事かとか、どんな人と付き合えばいいかとか、そんなんじゃなくて、大切なのは何をやったかだと思う。何を考えて、何を創るか。

    行動主義であり続けることを僕は子どもたちに進めたいです。だめかな。。