【偉人調べ】新5千円札の顔:津田梅子さんを調べました。

しーぽんです。

皆さん、津田梅子さんのことを知っていますか?

5年後の2024年に日本の紙幣が変わりますよね。1万円札は、渋沢栄一、1000円札は北里柴三郎、そして、5千円札が津田梅子となります。

私は今回この津田梅子さんがどのような人で、どんなことをしたのか調べてみました。

日本で女子教育をはじめにした人

津田さんは、今の津田塾大学(元:女子英学塾)の創立者です。

日本人の女性は昔、教育を受けずにただ家で家事をすることが仕事と思われていました。

勉強は働いてお金を稼ぐ男の人がやるものでした。

しかし、梅子は日本でも女子教育をするべきだと言って、学校を作りました。

6歳から留学し、アメリカの文化を勉強

梅子は、岩倉使節団という留学グループのようなものに従い、6歳でアメリカに留学しました。

小学1年生で一人で留学することは今では考えられないことなので、とても驚きました!

11年間アメリカで勉強をして、17歳で日本にいったん帰国しました。

帰国してから梅子は華族女学校で英語を教えていましたがカルチャーショックが強かったそうです。それは日本から離れて11年間もアメリカにいたので当然ですよね。

梅子は日本に帰ってきてからも、日本の人たちに女の人の高等教育の大切さを伝えたいと思っていて、いつか自分の学校を作り女性でも難しい勉強ができるようにしたいと考えていました。

なので、再び25歳の時留学をして、アメリカのブリンマー大学で生物学などを勉強しました。

この時、初代内閣総理大臣の伊藤博文さんに推薦されて留学をしたそうです。首相から直々に留学してきなさいと言われたということが、津田梅子さんのすごいところですね。

再び帰国

梅子は大学にのこり、アメリカで生活し、研究を続けることを進められましたが、帰国。

再び華族女学校の教授として日本人の教育に戻ります。

梅子は自宅で女子学生を預かるなどして、教師生活を積極的に続けます。

その時日本に来たナイチンゲールやヘレンケラーとも会っているので、本当にすごいですね。

学校を作る

そしてついに日本の女子高等教育機関として、女子英学塾を作りました。

ここでは、アメリカでの経験をいかして少人数制の授業や個性を引き出す教育をしました。

当時、あまり女子教育は一般的ではなかったので、「女の人でも何でもできる」という意識を持たせたかったのだろうと思います。

今でも津田梅子は日本の女子教育を一番に考えた人として知られています。

お札の表紙になるのも納得ですね。

調べてみて

津田梅子がどんなにすごい人なのかがわかりました。なくなったのは約100年前なのに、いろいろな人に知られています。

特に女子教育を日本で一番最初に推し進めた人だということにびっくりしました。

今の私たち女の子の教育があるのも津田梅子さんのおかげだと思いました。

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